井上尚弥ヒストリー#1 幼少期からデビュー戦までの凄さを解説【2021version】動画あり

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親と子ではなく、男と男の約束

井上尚弥さんはお父さんの影響でボクシングを始めます。

お父さんの井上真吾さんはアマチュアのボクサー。

20歳から趣味でボクシングを始めてハマった、という話で本格的にプロでやっていこう!という思いはなかったみたいです。

塗装屋の仕事もしていましたし、奥さんも子供もいたのでプロを目指している場合ではなかったんですね。

でも、かなりのトレーニングは積んでいたみたいですし、相当な腕前だったんでしょうね。

何せあのモンスター井上尚弥の育てたおひと!現在もモンスターのトレーナーでございます。

トレーニングをしているお父さんを見て、当時6歳の尚弥少年は

『お父さんカッコいい、僕にボクシング教えて』とねだる

「ボクシングは甘いスポーツじゃないよ、それでもできるの?」

うん、と頷き、その目からは揺らぐことのない意志が感じられたといいます。

「父さんはボクシングに噓をつきたくないから一生懸命やっているんだ、尚もボクシングに噓をつかないと約束できるか?練習がどんなに辛くてもやり通せるか?」

『うん、お父さんと一緒にやる!』

親と子の約束ではなく、男と男の約束をしたといいます。

本来であれば6歳でした約束なんてすぐに反故にしそうなものですが、尚弥少年はそこから約束を守り、キツイ練習にも耐えてきました。

6歳でボクシングに興味を持ち、そんな決意を固める事が可能なのだろうか?

天から使命を与えられたとしか思えません!

その結果、わずか10歳でプロ顔負けのシャドーを身に付けます!

恐ろしい〜。

当時のミニマム級王者、八重樫東さんとスパー

中学生3年生の時に八重樫東とスパーするも、まったく歯が立たずショックを受ける

『中学生にしてはやるな』くらいの認識だったといいます。

この時は凄いけど、突き抜けている感じではなかったのですね。

でも、この頃の八重樫東さんはミニマム級チャンピオンでしたので、中学生が歯が立たなくて当たり前なのですが

高校1年でインターハイで優勝『オレ強いんじゃね?』と理解する。

今までは全国大会などはなかったけど、高校に入りインターハイを経験して1年の時に優勝してしまった!これは凄い。

高校2年の時にまたまた八重樫東さんとスパーして、今度はいい勝負をしました。

この時に『プロでも通用するんじゃね?』と自信を持ったそうです。

獲得タイトル

高校 国体 インターハイ 選抜 の三冠

高校通算タイトル五冠

インドネシア大統領杯(プレジデントカップ)で金メダル、全日本アマチュア選手権も制し、高校生初のアマチュア七冠を達成

凄すぎます!

高校生のタイトルだけでなく、大人も混じっての世界大会も優勝しちゃってますからね

プロの道へ

惜しくもロンドン五輪の出場を逃してしまい、大学に行ってまたオリンピックを目指すか、プロを目指すかの選択肢に迫られるが、プロを選択。

大橋ジムに所属することになります。

契約書には【強い選手としか戦わない】との条項があったそうです。

強い選手とやらないと成長しないから、無駄な時間を過ごしてしまうというのが理由みたいですね。

確実に勝ちを狙うマッチメイクする奴らに聞かせてやりたいですわ!

聞いてるかメイウェザー!笑

プロデビューは異例の8回戦(A級)から!

B級ライセンス取得とアマチュアでの実績が認められてA級デビューをしました。

25年ぶりで、10代では初だっらしいです!

相手はフィリピン王者で東洋太平洋8位のクリソンオマヤオ

クリリンだかクソソソだか。

デビュー戦にしては強すぎる相手ですが、現在のモンスターの強さを知っている人からするとまぁねという感じですが、強い相手です。

しかし、試合が始まるととてもデビュー戦と思えない動き。

特にディフェンスの巧さが際立ってましたね。

打ち終わりにしっかりガードしたり、素早いバックステップで避けたり。

これがデビュー戦の選手とは一切思えませんでした。

世界王者でも強い王者だね!ってくらいですね。

これに加えて、とんでもないパンチ力もあるわけですから、勝てるわけないですね

モンスターとの対戦を避けるのは無理ないですわ。

試合は1Rからボディストレートでダウンを奪い、終始圧倒。

相手はクリンチandホールドしてなんとかパンチを当てたり、逃げたりするのみ。

4Rには爆発音が響く、強烈ボディショットで悶絶KO勝利

クリリン選手、ご愁傷様でございました。😱

続く

 

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